フレイアになりたい

フレイアになりたい (集英社スーパーダッシュ文庫)
作者:岡崎裕信
挿絵:中村博文


表紙と帯のインパクトで購入w。

死ねって誰に言われても、私は死なない―――!
(250頁)

強く生きる為に何が要るのかを問いかける作品。
なんですが。



なんというか、非常に「惜しい!」と言ってみます。


エンディングは佐藤ケイの「LAST KISS」のお父さんもかくやって感じで、悲しさよりも悔しさが先にたちます。
あの作品は物語として綺麗で、読んでると泣けてくるのですが、心情にノメりこまず、一歩引いて見ると印象が変わります。
自分が助からないと思ったから*1、無茶して迎えたラスト。
けれど。
あの父親が「今必死でドナーを探してる、だから俺を信じろ」って言っていれば、そしてその言葉を裏付けるだけの信頼を勝ち得ていれば、絶対に救われていたような気がしていて激しく苦いのですよ。
自分はあの作品において一種「道化役」としてしか存在出来なかった父親が誰より可哀相でなりませんでした。


この作品の苦さは、そのLAST KISSと同種です。
(以下、ネタバレ)
自分には「彼女」を助ける手立てはあったように見えます。
要は「その腕と足はなんなんだ」ってことです。
失った器官の代用が出来る存在がそこにあるのに。
情報だけでも「100億の価値」があると言うのなら、頼んでみれば良いのに。
最悪、自分の腕の分を(ry。


作中、上にあげた可能性に触れた上で「それでも駄目だった」って事なら、まだ納得出来ます。
が、実際には具体的な介入方法の記述はなく、予定調和的なエンディングを迎えます。
なんのための異能、なんのための「瞳」!?
そこが口惜しくてなりませんでした。


(ここまで書いたので、言っちまいます)
「失う前の状態」を知らない者には、「失ったモノの大きさ」は分かりません。
推測は出来ても、共感は出来ません。
初っ端のバトルの前後に「日常」を描いていてくれたら、もっと思い入れを持って読めたのに。
それもちょっと残念かな・・・。


とまぁ。幾分批判的に感想書いてみましたが、面白かったんですよ(^^;。
(サッカーのシーンなんか特にw)
異能バトルではなく「スポ根モノにしちゃった方が良かったんじゃないの?」って気がしたりしなかったり。

*1:助からないと「知った」訳ではなく・・・